話題にするのも憂鬱になる事件ですが、どうしても気になるので、以下、この事件について、最近、日本精神神経学会が発表した声明をたどりながら考えてみたいと思います。
最初に、私が感じた違和感を申し上げます。
それは、今回の事件の犯人の異常性を指摘し、非難すればするほど、本当の問題が隠蔽されていくのではないか、という疑念です。
これだけの事件を起こした犯人です、その異常性に間違いはありません。しかし、そこへ向けて、我々が非難の大合唱をすればするほど、事件の深部に到達することはできないのではないか、という疑念です。むしろ、その異常性を非難することが一種の免罪符と化して、我々の社会が直面している本当の問題から目をそらす結果につながってしまうのではないか、そう感じています。
ただし、これは「我々の内なる差別心」というような問題ではありません。
このような道徳的なレベルで問題を把握すると、またしても単純な勧善懲悪の問題へとシフトし(ずれてしまい)問題の根本へと到達することができなくなってしまいます。我々が直面している問題は、ただの善悪で語りうるようなレベルには収まらず、もっとはるかに困難なものだと思います。
では、その問題とは何でしょうか?
まずは、以下の日本精神神経学会の声明文をご覧下さい。
相模原市の障害者支援施設における事件とその後の動向に対する見解(公益社団法人・日本精神神経学会・法委員会)
https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/sagamiharajiken_houiinkaikenkai.pdf
上記の相模原の事件に関する日本精神神経学会の声明文、全体として、とても良識的なものだと思います。しかし、この声明で次のように言う時、我々の社会は、どう反応するのでしょうか?
いかに歪んだ思想であっても、精神症状としての妄想でなく、思想であるならば、精神医学・医療の営みとしての治療の対象ではありえない。ましてや、これを封じ込めるための手段として措置入院等の精神医療の枠組みが利用されることも許されない。
すぐ隣から、次のような声が聞こえてこないでしょうか? 「危ない奴は精神病院に閉じ込めろ、それが措置入院の一つの役割だ」と。このような声が、我々の社会から消えるでしょうか?
ましてや、声明が次のように言う時、
措置入院の経験者は、治安対策の対象者では断じてなく、地域社会の一員として平穏に生活する権利を持つ市民である。その支援策は治安的観点ではなく、医療による支援と住民福祉の考え方に基づいて講じられるべきである。
またしても、すぐ隣から「それは正論だが、一部の措置入院経験者は社会が監視する必要がある」との声が聞こえてこないでしょうか?そして、果たして、この種の声が我々の社会から消えるのでしょうか?
私は断言したくなります。
上記のような声は決して消えないし、この投稿を読む一部の人々には、ごく当たり前の「常識」として疑われることはないでしょう。しかも、そのような人々にとっては、ここで、私が一体何を問題にしたいのかさえ理解してもらえないだろうと思います。
しかし、果たして、それは彼らの「罪」でしょうか?(「罪どころか常識だ!」と反論されるでしょうけど)
私は、この声明末尾の次の文章には深く共感しました。
我が国が優生保護法を母体保護法に改めたのが、今からわずか 20 年前の 1996 年であったことに思いをいたさなければならない。私たちの心性は、極めて特異に見えるこの事件の動機と決して無縁ではなく、私たち自身が今なおこのような優生思想の片鱗を内包していることを否定できないのである。
ここで示唆されている「優生思想の片鱗」とは、現代人であれば誰もが目を背けるような「わかりやすいハードな優生思想」ではありません。
むしろ、それは、我々の社会ではごく当たり前の「労働力の生産性」という評価軸に基づいた価値序列や、高齢化出産が拡大することで浸透してゆく「出生前診断」などに確実に垣間見えるものです。この種の「ソフトな現代的優生思想」に無縁でいられる人など、断言しますが、存在しません(*)。
それは、我々の社会の深部にまで達しているのです。
(*)この「労働力の生産性」や「出生前診断」が、なぜ「ソフトな現代的優生思想」になるのか、疑問に思われるかもしれません。詳細は別の機会として、「労働力の生産性」についていえば「なぜ障害者の雇用が難しいのか?」(なぜ障害者雇用する企業に補助があるのか?更に、なぜ法律で障害者雇用を定めているのか?)という問題を、また「出生前診断」については現実として主にダウン症児の検出に効果をあげている(中絶へと至る)ことを考えて頂ければ、基本的な方向性はご理解頂けるかと思います。そして、ここが肝心な点ですが、果たしてこれを誰が否定できるのか、この問題は簡単ではないと思っています。